9月17・18日 番外編 最近「縄文土器づくり」の時は、「江別縄文土器の会」の方々と一緒に指導に来られた方が酪農学園出身の方で、意外と近くに知り合いがいるみたいな感じで親近感を持てますね。機会があれば徐々に紹介したいと思います。


9月26日 40数年ぶりに再会果たす(同じ酪農学園大学の出身者です)new!
僕は笑顔が不得意なのですが、これでも笑顔のつもり。Yさん夫妻は笑顔が絶えないご夫妻で、一瞬にして長い間の空白期間が縮まります。

9月2日 岩見沢の友人からご家族の写真1枚(彼は同じ酪農学園大学の卒業生です)new!

8月5日 平成3年ゼミ卒業の皆さんと会うnew!
お互いに姿かたちは少しづつ変わってきましたが、酒を酌みかわしていくと30年の隙間がなくなってくるから不思議ですね。昔の資料を用意してくれたり、お互いに地元の土産を交換し、近況を報告したりしていると時間はあっという間に経過して、お開きになりました。皆さんはその後札幌で2次会を開催したのでしょうが、飲みすぎは時として長い間の隙間を埋めるのに必要なことなのかもしれませんね。







9月7日 自宅前で。レガシーは廃車予定。軽トラ1台になります。

7月14日 貴農同志会の総会(酪農学園に勤務されていた方々の)


6月27日 北海道新聞 朝刊に
当ゼミ出身者の記事が載りました。かなり大きな記事でしたので、縮小しないといけません。後日掲載予定です。記事は「ディープに歩こう 第3部石狩・浜益④浜益和牛」となっています。

6月18日 卒業生(昭和62年)が自宅を訪問
58歳だそうですが、半袖とは若いですね。きしめんの会社(4店舗)を立ち上げているそうです。遠くから来て、昨日は仲間たちと会ってきたそうです。こうして忘れないで寄ってくれてありがとう。

6月17日いつものメンバーで 平成6年3月卒業

6月11日 同じ卒業生から
9月25日にお会いして、ご無沙汰していることもお詫びしないといけないですね。藤野の恩師のご自宅には訪問していたのですが、78歳になって旧友に会いたくなって連絡してみました。お二人ともお元気なようで一安心です。お姿も変わらないですね。彼は大学を卒業後、北大で研究をされて公社にお勤めになっていました。僕はしがない大学院生でしたが、そこの公社でアルバイトの雑誌編集者でした。彼には良くしていただき感謝しています。

6月7日 同じ卒業生として(2)

5月23日 同じ卒業生同士として (同窓生会館にて) すっかりご無沙汰していました

平成6年3月卒業生の校長先生と電話(6)

2日前に電話して少しお話をしました。大阪で親友(同期の工藤ゼミ出身)と飲んでいる写真を拝見。2日後には東京で3人で飲んでいました。ラインでの交流も見ていましたので、お話をしたくなって電話。またお会いしましょう。(5.24)
卒業生から電話(5)平成3年3月卒業
つい2~3日前に卒業生から電話。先日普及員を定年退職した方と月形にたい肥をもらいに行ったことを知っていて、電話が来た。彼はJAに勤務をしていたが、縁があって普及員の試験に合格して現在は農業試験場に出向しているそうだ。彼の上司も僕のゼミ出身者であるので、仕事はしやすいに違いない。普及員の立ち位置は試験場の新技術を普及することにつながるので、重要な橋渡し役だ。いろいろ難しいことも多いと思うが、頑張ってほしい。普及員も自分で様々な技術や新種開発などの研究が多い。試験場の研究員たちと協力して、北海道の農業発展に努力してほしい。(5.21)
卒業生からの手紙(4)
農業改良普及センターに勤務をしている卒業生から転勤のあいさつが来ました。もともとは僕のゼミ出身者ではなかったけれど、縁があって大学院生として頑張った学生だった。普及員制度の下でその能力が十分に発揮できているのかどうか心配をしている。僕自身もう相当の期間普及機関との関係がないので現在はわからないけれど、それぞれの地域の中で、農家との密着型の農業指導がどの程度できるのか、個人の能力だけではどうしようもない環境の変化があるだろうね。頑張ってほしい。(5.15)
卒業生からの手紙(3)平成3年3月卒業
こちらは現役の先生からの手紙です。高校の校長としての転勤あいさつ文です。年度初めの転勤は入学生数が決まっていて、新任の先生と一緒に赴任するのであるから、それぞれかなり複雑な環境になるのかな。新しい職場に移って、今は新たな気持ちをもって毎日仕事に励んでいただいている時期ですね。いつまでも広い視野とチャレンジ精神をもって若い人たちを育ててください。(5.15)
卒業生からの手紙(2)昭和60年3月卒業
昭和60年にJAに入所して、定年を迎えたとのことで、その後は仕事の延長はせずにご両親の介助をされるそうです。ご家庭を優先されるのはいろいろな事情があるのでしょうね。ご苦労様です。私の場合は好きに生きているつもりで、いつの間にか家内に介護されている部分が多くなってきています。高齢化社会と言っても人それぞれの状況は異なっています。人生100年と言っていますが、そんなに簡単に割り切れる状況の方はそんなにいないことも確かです。安心できる社会にはとてもなっていませんね。(5.15)
卒業生からの手紙(1)昭和62年3月卒業 37年間道内の高校教員・校長先生を経て3月に定年退職したそうです。これを読むと定年退職とあります。60歳定年なんですね。その後の人生設計はわかりませんが、ご苦労様でした。教員という人生はどんなものだったのかはわかりませんが、山あり谷ありだったことでしょう。心の奥底にしまったままのものも多くあるだろうと思います。もう少し経つと、また新しい気持ちになるかな。(4.7)
2023年2月27日(月)浜益から卒業生が来てくれました。平成3年3月卒業 お米やジャガイモをたくさん持ってきてくれました。ありがとうございます。今年も図々しくたい肥をもらいに行こうかな。(2.27)

12月23日 年賀状は今後どうするかな。
今年も何とか年賀状を250枚くらい出したけど、戻ってくる枚数も多くて、今後どうするか迷いますね。だんだん管理ができなくなってきている背景もあります。メールでの年賀状もどうかと思うけど。
1月1日 賀正!
今日は朝からたくさんの卒業生を中心とする皆様からの年賀状もいただきました。新型コロナ感染拡大以来仲間が新型コロナに感染してしたりして、周りとの交流が少なくなってきています。皆さんは大丈夫でしょうか。我々老人同士の年賀状は「来年はもう年賀状はやめます」との文章がちらほら見られます。定年後12年経過しておりますので、卒業生の皆さんとも年賀状だけが便りとなってきました。年賀状そのものの管理も怪しいので、僕もそろそろおしまいかなとも感じだしてきましたが、ホームページはまだまだ頑張りますよ。僕の姿はだんだん小さくなって、怪しくなってきましたが、その姿を送り続けるのもいいかな。もうしばらく年賀状は続けるつもりです。80歳くらいまでが限界かな。(2023.1.1)
12月17日 同期の卒業生二人が訪ねて来てくれました。

11月23日 名寄から訪問してくれました。

9月14日 飲み会をしましたが、ちょっと体調が悪かった。影が薄いのはそのせいかな。

ホームカミングデー
酪農学園の校友会主催によるホームカミングデー(第29回)と白樺際(第26回)は7月2日に黒沢記念講堂にて開催されました。下村・工藤の2名がそれぞれ報告しました。何といっても同じゼミの出身者たちが集まってくれたことが一番うれしかったですね。(7.2)




来てくれた方全員での撮影とはいかなかったね。そのまま帰った方もいました。残念ですね。
写真を撮っていませんが

Facebook あまり興味を示せなくなって、自らはあまり投稿しませんが、トップの写真を変えたところ、急に「いいね」というのですか、その反応にびっくりしました。卒業生たちの反応も多く、それなりに見ることもあるのですね。あらためて、人のつながりを感じた次第。
2022年5月 卒業生が訪問 平成元年3月卒業

久しぶりに浜益に(4.25)
たい肥をもらいに家内と行ってきました。春なので忙しいみたいですね。申し訳なかったですね。お米や肉などたくさんいただきました。ありがとうございます。帰りには当別の友人にもたい肥とお肉のおすそ分けです。早速北広の畑や自宅の畑に撒いてます。

2021年9月1日 長年愛用してきたセローは卒業生に譲りました。足寄まで軽トラに積んで家内と二人でもっていき、そのまま帰ってきました。

軽トラで5時間かかりました。帰りは途中高速に乗りましたので、4時間くらいで帰ってきました。ゼミの卒業生2名が迎えてくれました。同じ農経の卒業生も迎えてくれました。すぐに帰ってきたので、あまりお話しできませんでしたけどね。軽トラには家内と二人で運転しました。(9.1)
さすがに疲れた。日帰りというのは強行軍でしたね。猫が自宅で待っているので、泊りはないな。自宅にはTR250が1台あります。先日2年間の自賠責を取得しましたので、しばらくは乗るつもりです。乗り物は人生の終焉?に向けて整理をしていくしかないですね。今年の11月にはレガシーは廃車の手続きをする覚悟です。軽トラが残りますが、こちらを主戦力として活躍してもらいます。(9.2)その後、レガシーも車検を取得しました。24万かかったので、今後どうするかな。(2022.1.17)
卒業生に会いに行きました。

2020年2月 下の写真の方は苫前で機械の利用組合長(コントラクター)をしているそうです。




定年になると卒業生とも疎遠になってきました。仕方のないことですが、思い出だけに浸るわけにもいきません。年をとっても何かしら生きている意味を持って生きていかないと、ボケが進行します。若い人たちはこれからの人生を楽しんでください。

仲の良い仲間たち